BLOGブログ・大会情報・Matchトレ!塾

Matchトレ!NEWS【第6号】

空手家の記憶には新しい、東京2020オリンピック男子組手−67kg級にて出場した佐合尚人選手にインタビューをさせて頂きました。

どんな生い立ちを経たのか。まずはその土台となる学生時代までのことを綴らせて頂きます。小学生時代〜大学生時代でどんな苦難を経て、どんな取り組みをしていたのか。

私自身、このインタビュー中にかなり感銘を受けていました。是非、選手のみならず保護者の皆様にもお読み頂きたいものとなっております。

Matchトレ!って何という方はこちらをご覧ください。

オリンピアン佐合尚人選手の生い立ち

[経歴]
御殿場西高校空手道部 卒業
帝京大学空手道部 卒業
高栄警備保障株式会社 現在

[主な戦績]
【国内】
2010 インターハイ3位
2013 第63回国民体育大会準優勝
2015 全日本実業団空手道選手権大会 準優勝
2018・19・21・22年 全日本実業団空手道選手権大会 団体組手4連覇
2020 全日本選手権大会 男子個人組手 3位
2022 栃木国体 個人組手軽量級 第3位・団体組手 優勝

【国外】
2013 EAKF 東アジア空手道選手権大会 優勝
2016 WKF Karate1 プレミアリーグ沖縄大会 −60kg 3位
2019 WKF Karate1 シリーズAカナダ大会・チリ大会 -60kg 3位
2018 WKF 世界空手道選手権大会 -60kg 準優勝
2021 東京五輪 男子組手-67kg級 出場

小学生時代

空手を始めたきっかけ

彼が空手を始めたきっかけは、決して特別なことはなく、小学2年生の時に、友達に誘われて地元の道場で始めたのがきっかけだと言う。

最初に始めた習い事ではなく、小学1年生の時にまず水泳を始め、その後に空手を始め、そして翌年はバドミントンを始めたようです。
文化系と体育系の掛け持ちはよくあることだが、全て体育系は当時から運動が大好きな少年だったことがよくわかる。
 
一週間のスケジュールは、空手2〜3日、水泳1日、バドミントン1日だったそうだ。

3〜11歳のゴールデンエイジと言われる間に多くの運動をすることはとても大事ということを改めて感じるほどの運動量と現在のポテンシャルだ。

空手での大会成績や取り組み方はどうだったのか

空手を始めたものの、道場が新しかったこともあり、全少や全少予選の試合に出場することはなかったが、空手を始めて2年後には市民大会や流派の全国大会では、形・組手で優勝するほどだったようだ。
 
たった2年で両種目とも流派の全国大会で優勝とは、凄まじい成長を感じるが、やはり親御さんが厳しかったのかを聞きました。

すると、
「親は空手に関しては先生に任せていたので、技術面とか細かいことは全然言われることはなかった。
私生活とやる気のない時だったりとメンタル面で育てられかな。あとは、晩ご飯の時によく試合のビデオを見てさせられた。でも、嫌ってこともなかった」
と、純粋に空手が好きな気持ち、勝ちたい負けず嫌いな本人の気持ちが強さ、親御さんはあくまでバックアップの姿勢であったことを教えてくれました。

現在は、選手・指導者・保護者の役割があやふやなこと場面を見かけることがあるが、僕自身の経験からではあるが、納得なそれぞれの関係値だなと改めて思いました。

中学生時代

師の思いやりで開花した才能

まずは中学生になってから、学校の部活動や一週間のスケジュールにどれくらい変化があったかを聞いてみた。

学校は部活動の入部は強制じゃなかったため、入らなかったと言う。
また、水泳やバドミントンもやめて空手一本へ絞ったよう。

部活に入らなかったのにはきっかけもあったそうだ。
「道場の先生がみんなが部活をやっている間に指導してあげる」ということが空手一本になったきっかけのようだ。
 
また、週のスケジュールは月〜土の6日間稽古で基本的には3〜4時間の稽古をしていたようだ。かと言って毎回毎回ハードなわけではなく、空手を楽しめるくらいの日もあったよう。それにしても、中学生になると思春期になり心が不安定になる。
 
そこで、サボったこりしたことはなかったか聞くと、「サボりたいと思ったこともないしサボったこともない。でも、それも毎回ハードじゃなかったおかげもあるかな。」と話した。
練習強度にしっかりと緩急があったことが現在でも空手に打ち込めている秘訣なのではと感じました。
 
勝利至上主義になると、ハードトレーニングこそが勝利への近道と思われたりすることがほとんどの時代にも関わらず、当時にそのような教えを受けていたことは間違いなくこれからの時代を形成する経験をしてきているなと感じさせられました。

二刀流で乗り越えた高校時代

なぜ御殿場西に進学したのか

御殿場西を進学した理由には、中学生の時に渋谷先生のご紹介がきっかけであったそうだ。
後ほど詳しくお話ししますが、この時にはすでに帝京大学への進学を強く望んでいたとのこと。

その為、渋谷先生のご紹介とは関係なく、帝京大学へ進学できることを前提に進学先の高校を探していたと聞き、当時に大学まで考えて実際に進学した選手は果たしていただろうかと疑問すら感じました。
 

どんな道のりを歩んだのか

1年生の頃は、春の全校選抜まで団体組手のメンバーにすら入ることができず、それまでは悔しい思いをし続けたが、努力の成果により、春の選抜で決勝メンバーにまでくらいつけたようだ。

同じ東京都の選手であった私から見て、当時のポテンシャルを持っていながらも約1年間下積みを要するメンバーがいたのは本当に個人でも強豪選手揃いだったことを伺えた。
新春の桃太郎杯でも、1年生大会の個人戦(各学校2名まで)でも起用してもらえなかったと言っており、組織全体のレベルの高さをかなり実感させられました。
 
だが、2年生になってからも苦悩は続き、春の選抜まで個人組手への出場は叶わなかったようだ。
むしろインターハイでは、個人形で出場をしていたことを明かしてくれた。

この時、団体組手メンバーに選出されていたものの、個人形があることで、本番で出場することはなかったようだ。
 
結果的に2年生の冠大会で出場した種目は全種目になり、結果は伴わなかったものの、1年生の時と比較したいろんな意味で成長を感じさせる一年であったように話を聞いていて感じました。
また、形でインターハイ・全国選抜出場をしているのは、現代の選手への何かしらのメッセージになるのかなと感じました。本人も形をやっていたことで得られたものがあったとおっしゃっていました。
 
3年生でも、二刀流は継続し、形においては、県大会を勝ち抜き、東海地区大会まで出場したいたようだ。
個人組手はこれまでの努力に火がつき、インターハイで第3位の結果を残した。

団体組手では、超激戦区を勝ち抜くことができず、結果を出せなかったようだ。本人はインターハイの結果を振り返り、「トーナメント運がよかった」と改めて人格の違いを感じさせられる言葉をいただきました。

苦難の連続だった大学時代

なぜ帝京大学へ進学をしたのか

先ほども少し書きましたが、中学生の時にJKFanの世界大会のDVDで当時帝京大学の学生で世界チャンプに輝いた、永木さんの映像を見て、一目惚れし、帝京大学空手道部への強い憧れを抱いたと言っていた。

私も当時の世界大会の映像を見たことがあるが、小柄ながら圧倒的な突破力と中段突きで20cm差はあるであろう選手を瞬く間に倒していく姿は心を震わされました。
その突破力は現愛の佐合選手の組手にとてつもないインスピレーションを与えているんだなと納得します。

苦難の連続でも不屈の精神で咲かせた集大成

多々いる強豪選手を抑えて、1年生の頃から唯一団体戦のメンバーとして出場し続けていたそうだ。
ただ、その中でもなかなか納得のいく結果を出すことができずもがいたこともあったそう。
しかし、そんなことをど返しに結果出るための努力をし続けていたことは、強豪校である帝京大学のトップ5として出場していたことが一つの証明でもある。
 
3年生の時には、初めてナショナルチームへ入り活躍の場を一気に広めた。
その年に初の海外戦を迎え、東アジア大会で-67kg級で優勝を飾っている。
それでも道のりは険しく、大学3年のインカレ前にヘルニアで1週間動けなくなり、あらゆる方法で治療に専念しぶっつけ本番で団体メンバーとして出場したが、決勝戦では負けを喫したことをとにかく悔しそうに語った。
 
4年生の際にもナショナルチームには入っていたが、それからも苦難は続いたそうだ。
不調もあり東日本学生団体で4年間で唯一、団体戦の決勝メンバーから外れたり、手指の解放脱臼と手首骨折を経験している。解放脱臼の際は、抜糸までの1ヶ月間はしっかりと汗かくこともドクターストップされていたが、それでも出来ることをとにかく徹底し、日々トレーニングに励み続けていたようだ。

その活力には、チームへの貢献する気持ちだけであったという。いつでも空手に対して、チームに対する姿勢の信頼から、出場できない予定であった全日本学生団体に準決勝でも出場することができ、勝ち星を挙げている。
その時に私は佐合選手の試合を見ていたが、明らかに負ける雰囲気がなく、圧巻の勝負をしていたことを今でも鮮明に覚えています。

最後に勝利を掴むのは、やはりどんなに険しい道のりでも、結果を出せるようになるまで長い時間を要しても、不屈の精神で準備し続けた者にだけ迎えることのできる瞬間なんだなと実感しました。
 

まとめ

いかがだったでしょうか。
佐合選手の歩んできた学生までの道は、決して華々しいとは言い切れず、努力に努力を重ねてきた土台があったように私自身感じました。

それも、自分自身のためだけを想って継続してきた努力だけではなく、利他心から生まれる努力もたくさんありました。なかなか文章だけでは伝えることが難しいほどに、感動的な内容でした。

そんな佐合選手も今では今後の日本空手界のために必死に活動をしています。
技術的な面はもちろんのこと、実際にお会いしてわかる人間力の高さにも教わる大きな魅力があると思います。

同じチームメイトとして身近に偉大な先輩がいることを改めて本気で誇りに思います。
不慣れな文字起こしでしたが、少しでも最後までお付き合いしていただいた皆様にこの感動をお伝えできれば幸いです。

第二弾は社会人〜オリンピックについても掲載いたしますので、是非お楽しみにしていてください。最後まで、ありがとうございました。

Matchトレ! 水村 春輝

SHARE!

BLOG TOP